日本語は雅の心



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14件の内、新着の記事から10件ずつ表示します。


[17] バイクで山登り。

投稿者: natch2 投稿日:2018年 3月 8日(木)11時36分41秒 p96f63f19.tokynt01.ap.so-net.ne.jp  通報   返信・引用   編集済

事務所マンションがブラックアウト!
午前中から夕方まで全館停電。
今は何でもエレクトリック・エレクトロニクスの時代。
まさに生活インフラのすべてと言えるほど、電気がなければ何も動かない。
照明・暖房・通信・あらゆる電気機器。
それこそ電気止まって日頃の恩恵を痛感することになる。
半日居れば冷蔵庫を開けることもあるだろうし、
暖房なければ寒いだろうし、
ならば死に体の事務所はほっといて、外に出てしまえ。

 ということで、急きょツーリングに出発。
奥多摩に出向いた。
林道に入り込んで、山の景色を見たい。
急坂をホウホウの体で登り切り、
標高650mの麻生平にたどり着く。
おっ、高尾山よりも高いぞ。
と、言いながらも危機一髪の状態も何度か。
落石だらけの超ハードラフ。
ぬかるみで立ちごけし掛かり、ぎりぎり復帰、
よくぞ無事に帰ってきたもんだ。

 かかった経費、ガソリン代1500円、
白バイの罠にかかり、交通違反金6000円。
停電って金のかかることなんだ。




[14] またまたバイクのお話。トヨタのオカルトテクとは?

投稿者: natch2 投稿日:2018年 2月28日(水)04時46分7秒 pdf861076.tokynt01.ap.so-net.ne.jp  通報   返信・引用   編集済

トヨタのオカルト?テクノロジー、
今話題のアルミテープチューニングを2輪のFTに施してみた。
いまだに半信半疑である。本当に?ってなかんじ。
ならば体感してみようじゃないか、の好奇心がわいてきた。
さあ、どんなものなのか・・・・・・・・・。

アルミテープチューニングとは、
車やバイクの樹脂部分が走行時の空気との摩擦で静電気を帯び、
その静電気が空気の流れ線を乱すことで空力性能が落ちるのを、
アルミテープによって静電気を放電して、
流れ線を正常に取り戻すという理論だそうである。

アルミテープは、種類・価格さまざまであるが、
表面導電率が高いものを選ぶ必要があります。
DAISO のアルミテープを使いましたが、
表面導電率は100パーセントでした。
あとは接着剤の導電率の問題でしょうか。

            報告は後程。



[13] では、カタカナ語、第2弾です。

投稿者: natch2 投稿日:2018年 2月27日(火)17時28分48秒 pdf86d78b.tokynt01.ap.so-net.ne.jp  通報   返信・引用   編集済

前回は、頭に掲げた、エンタテインメントのみの解説で終わってしまいましたが、
では、2つ目の “ プレスティージ ” について。
私トヨタのお仕事で、トヨタのプレステージカーの解説広告を、
ビデオで例年やっておりましたが、
ある年、突然プレステージカーの台本が、
プレスティージカーに代わっていたのです。

これに関しても、外人さんの前に、日本人までもが、
いや、わたくしまでもが、Pre Stage Car だと、
意味も確認せずにそう思い込んでいました。
Pre Stage ではなく、Prestige 威信、名声という意味の、単語1語だったんですね。

こういう誤解を生じさせないために、
できるだけ、英語の発音に忠実なカタカナ語、外来語でありたいという流れ。

 では次に “ リラクセーション ”のお話に移りましょう。
トレーニングジムなどの壁には、きっと今でも、大きな文字で “ リラクゼーション ”
と、濁音のついた文字が、ポスターなどで張り出されているでしょう。

これももう10年以上前に、郵便局のポスターには、濁音を外した、
“ リラクセーション ” の文字が書かれていました。
何のことはない、“ リラクゼーション ” などと発音する英語はないのですね。

英語は、大体原形の単語があって、それが変化して形容詞や名詞形を作っています。
“ リラクゼーション ” の原型は“ Relax ” “ リラックス ” です。
その名詞形が “ Relaxation ” “ ゼ ” などの濁音はどこにも見当たりませんよね。
清音の “ リラクセーション ” が正しいのです。

第2弾はここまで・・・・・。

      第3弾があるかな。

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[12] 外来語の今

投稿者: natch2 投稿日:2018年 2月24日(土)01時31分3秒 pdf8624eb.tokynt01.ap.so-net.ne.jp  通報   返信・引用   編集済

かつてはエンターテイメント、いまはエンタテインメント。
かつてはプレステージ、今はプレスティージ。
かつてはリラクゼーション、いまはリラクセーション。

違いがお分かりですか?

外来語の読み方そして発音までが変遷を遂げてきております。

象徴的なものが、最初にあげた、エンタテインメントでしょう。
ソニーコンピュータエンタテインメント、ビクターエンタテインメント。
社名までもが統一されています。

 四半世紀前ごろに面白いことがありました。
マイカーに載せていた、ソニーのカーエレクトロニクス機器、
当時一般のブラウン管の3倍の輝度を持ったテレビジョン。インデックストロン。
そのころは、ソニーやホンダといった技術のメーカーは、
今でこそクレーム処理窓口の意味しかなくなったお客様相談室ですが、
そのころは、"お客様イコール最終テスターである" の思想の元、
技術的な問題があると、すぐその技術者の現場に電話をつないでくれたものでした。

今は無理ですねえ、ただの苦情処理係で、まず現場につないでなんかくれません。

 そのテレビは最新の技術だったために3か月で故障してしまうんですねえ。
大崎の『ソニーモービル事業部』に頻繁に通ったものでした。
”お車を廃車にするまで、わたくしたちが責任をもってこのテレビの面倒見ますよ” と、その現場の技術者さんが毎回迎えてくれるのです。

ある時そこを訪ねると、会社の看板が真新しくなっていました。
社名が変わっていたんです。
『ソニーモービル事業部』が『ソニーモバイル事業部』に、

時を同じくして、自動車電話を使っていたので、新橋の『NTTモービル事業部』を訪ねると、『NTTモバイル事業部』に代わっていました。

これみな看板を変えただけでなく会社の登記簿まですべて更新していたんですよ。

今ではモービルが使われているのは、モービル石油ぐらいでしょうか。
でもこの、モービルとモバイル、意味自体が違うんですよね。モーバイルとも言いますが。
モービルは、オートモービルのモービルで、自動車のこと。
モバイル、モーバイルは携帯・移動通信の意味なんですね。

なぜこんな流れになったのでしょうか。

実はこういうわけがあったのです。エレクトロニクス部門の急速な発展の中で、
インターネットが急速に普及し始めて、あらゆる意味で、
ボーダレス時代に突入していくわけです。

日本の外来語の起源の大本は、イギリス英語でした。
1960年代に入ると、ハリウッド映画やアメリカンポップス全盛となり、
日本中がアメリカンカルチャーであふれてゆきます。

英国人に言わすと、今でも米語発音は、アメリカ訛りと揶揄することが多いように、
変な英国プライドがあるのです。

 何となく言おうとすることが見えてはきましたでしょうか。

そう、今の日本では、イギリス訛りよりもアメリカ訛り?が浸透しているんですね。
イギリス英語では、”ter” は ”ター” と長音が付くのですが、
米語では、ほとんど長音が聞こえないのです。
米語になぞらえて、”er" の長音を皆とってしまおうという流れになったのですね。
コンピューターは、computer、"er" の長音をとって、コンピュータ。
サーバーは、server の " er " の長音をとって、” サーバ ”
ということになってきているわけであります。

 中には勘違いして、長音はみなとってしまえばいいんだなどと思い込んで、
十把一絡げにして、とんでもないことをしでかす人たちもいます。
メモリーをメモリ、という人たち。
これは違います。メモリ、などと長音を切って平板でいわれると、
日本語の目盛り、に聞こえてしまいます。
なぜって、memory は " er "ではなくて ”ry ”ですから、こんなものは取ってはだめです。
これは、英語発音になぞらえて、頭高のメモリーでなくてはなりません。

 流れの基本としては、インバウンドも盛んになり、世界中の人々が、
現実にもバーチャルにおいても、ボーダレスになった現代、
英語圏の人たちが、いや、米語圏の人たちかな。
彼らが日本人の口からカタカナ語、外来語を聞いた時、
出来るだけイングリッシュのスペリングを彷彿させる、
元の英語に近い音とアクセントでありたいという流れなのです。

例えば、イメージ、も中高だったものが、
今では頭高の、イメージが一般的になっています。
第1部はここまで。

            第2部、乞うご期待?



[11] 久々にバイクのお話。

投稿者: natch2 投稿日:2018年 2月20日(火)23時24分49秒 p3b93be7a.tokynt01.ap.so-net.ne.jp  通報   返信・引用   編集済

なぜ、バイクの燈火類にこだわるのか?

趣味と好奇心の意味合いもなくはありませんが、一番の理由は、
事故を未然に防ぐための、自衛手段の具現化に他なりません。

我、FT400の燈火類は、ほぼLED化が完了しました。
ヘッドライトをデュアル化すると同時に、H4タイプのLEDバルブに換装。
LEDの遠方照射の弱点を補うために、魚眼タイプのスポットランプをHI/LO共に増設。
尾燈、ストップランプも高輝度赤色LEDに交換。
さらにはエンジン点検用の照明や、手元あかりも増設しました。
給油時給油口を明るく照らしてくれます。

これらのLED化は色合いと、明るさへのこだわりと、低消費電力化も主な目的です。

バイクは本当に裸の乗り物で、事故の際には限りなく、無防備です。
そのためには、とにかく事故を未然に防ぐ事。

白夜の国北欧では、
4輪車でさえ24時間のライト点灯が義務付けられている国さえあります。
これらは、対象物を照らすことよりも、自己存在証明のためのものです。

道路によっては、左側にバイク通行可のラインがあるところがあります。
これらはすり抜け違反にはならない部分ですが、渋滞しているような場合、
4輪車の乗員がとんでもない行動に出ることがあります。

ことに危険なのは、幹線道路が地下鉄と並行している青梅街道のような場合、
朝の出勤時に、いつもは公共交通で通勤している奥様を、
旦那さんがたまたま車に同乗させた場合、

案の定渋滞して、奥様が会社に間に合いそうにない。
車内では罵り合いが始まり、運転者の確認もままならぬ間に、
奥様が怒りで助手席側のドアを、いきなり開ける。

走ってきたバイクがドアのエッジに激突して、即死事故が発生する。
これ、現実に起きた事故の例です。

そのような時間帯、そのような幹線道路を走るときには、
あらゆる可能性を排除せずに、
頭の中ではまさかのシミュレーションを巡らせながら走ることが、
自分の命を守る最良の手段だとは思うのですが、それだけではたりません。

実際に危険を感じた例としては、いずれも幹線道路走行中、
ガソリンスタンド手前、突然方向指示器を出す間もなく左に切れ込んでくる車。
同じように、コンビニ手前、ファミレス手前、等々。
探していた運転者が、『あった~!』の叫びと同時に切り込んでくるのです。
これらの場合は、いずれも前方に大きな看板がありますから、
何が起きるかわからないの予測をすることが可能なはずです。

それに最も腹が立ち、予測できずに、危機一髪を何度も感じたのが、
タクシーが客を見つけて、方向指示器と同時に切り込んでくる例。
事故になれば、これらはみなもらい事故に近いものです。

先ほど述べたように、想定問答集を作って慎重に運転すればよいのですが、
それだけでは足りない部分を補うのが、灯火類による、自己存在証明行動なのです。

私は左側帯を走るときは、昼間ならば、必ずライトを上向きに、
そして、夜でも雨のような確認しづらい状況の場合は上向きにして走ることもあります。
左側帯なので、対向車に幻惑を与えることはありません。

4輪車のバックミラーに認知させることが、昼間点灯の最大の効果なのです。
ハロゲン球の昼間の点灯は昼行燈と言ってもいいくらい目立たないですね。
その点、高輝度LEDは、昼間でも白色が輝き、格段に目立ちます。

ヘッドライトと同時に、後続車の追突を未然に防ぐことも、
自己防衛手段の有効な手立てだと思い、
ハイマウントLEDストップランプを増設しています。

シーシーバーも、ハイマウントストップランプも、改造対象にならず、
当然ユーザー車検ですが、何の問題もありませんでした。
ただ法律的に、ブレーキランプが点滅してはいけないことを知らずに、
テールランプ・ブレーキランプの配線になっていて、

制動時点滅することはだめだと検査官に言われ、
その場で、テールランプ機能は解除して、
制動時だけ点灯するように切り替えてOKとなりました。

逆にそのほうが、制動時面積が増えて安全率が高まります。結果オーライでした。

4輪車では、制動時、ストップランプの表示面積が増す仕様が
ほとんどになっていますが2輪車ではまだ少ないですね。
ドイツでは4輪車は確か昔から義務化されていたはず。

ハイマウントは制動専用なので、ブレーキング時、ランプが2か所に増えて、
制動行為を後続車に確実に伝えることができます。これとても有効なんですよ。

殊に、テール、ストップランプのダブル球に関しては、
ブレーキング時、輝度が2倍にも達しない安物のLEDランプはかえって危険です。
制動時、法令に沿った、明らかに輝度が変わるLEDランプを探すことが大事でしょう。

保安基準、法令では制動時、尾燈時の5倍以上の輝度と、決められています。
FTの場合、尾燈がナンバー照明を共用しているため、
下部をマスキングした上で、ナンバー照明を増設しなければなりませんが、
高輝度赤色LEDダブルランプの装着が理想です。
白色LEDだと、赤色レンズを突き抜けて白っちゃけてしまうからです。

何かの参考になればと思い、投稿しました

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[10] 音読、朗読、読み聞かせにおけるいくつかのポイント

投稿者: natch2 投稿日:2018年 2月20日(火)22時55分17秒 p3b93be7a.tokynt01.ap.so-net.ne.jp  通報   返信・引用

                ST1093ナレーション研究室  徳弘夏生

まず、はじめに、人間の言葉とは、意思伝達の一方法であり、あくまでもひとつの道具だと割り切ることから、表現を捉えてゆきます。

人間は不器用です。人間はうそつきです。
このうそとは、人を騙すという意味のうそではなく、
てれだったり、恥ずかしがりからだったり、あるいは、相手を揶揄するために真逆の言葉を発したりしてつくうそです。

言葉は万能ではありません。何が万能かといえば、それは人の想像力、つまり、イマジネーション力なのです。
想像力とは、字のごとく、“像(かたち)を想う力”のこと。
そう、想像力こそ人間の特権なのだとも言われています。

人の表現とは一元ではありません。
人は、往々にして、二元、三元表現をしています。
言葉は、そのうちの一元を、担当しているにすぎないのだと考えてみてください。
その言葉に乗せる想い・イメージが、他の一元々々になるのです。そのとき身体は動き、表情さえ変わるでしょう。

書かれた文字に、その文字の意味をストレートに乗せる場合もあれば、その文字とは裏腹な、真逆の想いを乗せることもあります。

タレントさんのオーディションのときに、薬の効能書きを用意させるというのがあります。
ただの薬の効能書きを読ませて、恋愛小説にしろとか、
サスペンスに仕立て上げろとか。はたまた官能小説にと。
そのとき、そこに書かれてある文字の意味はすべて消失し、頭に描いたストーリーを、そこに書かれてある文字にただ乗せてゆくことになります。
実際、それがエンタテインメントにさえなってしまいます。
その時点では、人の想像力が文字を超えているのです。
その想像力こそが、タレント・表現者に欠くことのできない能力なのです。

では、私たちがそこに書かれてある文章を読んで伝えて行くとは、どういうことをさすのでしょうか。
文字を読むことイコール語りではない。
文字には何も書かれていません。多くのヒントが置かれているだけです。(ちょっと極論かもしれませんが・・・)

もっと広げて考えてゆけば、文字にこだわるのではなく、
その文章を書いた人間にこだわりたい。
書いた人間が何を想い、そこにどんなシーンを託しているのか。そう、わたしたちは、メッセンジャーなのです。
ある言葉の裏に、書いた人の姿が浮かび、そのとき彼が描いたシーンを感じられたならば、もうあなたはその文章を表現できたといっても過言ではありません。

人間のイマジネーション力と最初に述べましたが、それは何も特殊な能力ではなく、その差こそあれ誰もが持っている能力。だとすれば、語る人間がただ文字をなぞっているような読み聞かせは、空虚なだけではなく、聴くものの興味をそそることすら出来ず、居眠りさせてしまう結果になります。
朗読発表会などで居眠りしてしまうのは、寝不足などが原因なのではなく、下手な喋りを一生懸命理解しようと集中しすぎて、結局、疲れて寝てしまうことに気がつきました。
絵の見えてこない、シーンの見えない語りほどつまらないものはないのです。

しゃべり手の生理が動けば、同じように聞き手の生理が動くのです。
しゃべり手が欲望を持てば、その欲望は、聞き手に乗り移ってゆきます。
今、自分が何をしたいのか、したいという思いがないのなら何もしないほうがいい。
自分という人間を見て欲しい。自分の表現力を試したい。
だれだれに聴いて欲しい。この子達の笑い顔が見たい。
感動させて涙を誘いたい。
この“・・・たい” “欲しい” という積極的な想いこそが欲望なのです。

もう一度原点に返れば、表現するとき、誰かがそれを書き、それを伝える人がいて、それを受け取る人がいる。
そこには必ず人が存在する。
とすれば、“誰”のものを“誰”が“誰”にというように、今度は、その人称代名詞のあとには固有名詞がイメージされるはず。
誰が書いたのか。自分が書く場合もあるでしょう。
誰が読んで伝えるのか。自分だとすれば、自分は何者なのか。
では、ここから具体的なポイントの話をしてゆきましょう。

① まず誰に聴かすのか。具体的にターゲットを絞る。
年齢層もふくめて。これはスタンスの設定に重要。
これは立ち位置のことで、②でいう実際の距離の事ではない。
② 対象は何人なのか。それによって距離感が決まる。
③ その作品のジャンルは何なのかをしっかり認識する。
④ では聴き手をどうしたいのか。笑わせたいのか、おどかしたいのか、泣かせたいのか、を自分に言い聞かす。
⑤ 自分としては、その作品のどこが一番気に入ったのか。
嫌いな作品など読まない方がいい。自分の欲望に忠実でありたい。
⑥ その作品の概要を、自分の言葉で簡潔に語れること。
それが出来ないのなら説得力を持った喋りを期待することはできない。

と、ここまでが読み聞かせに当たっての初期設定である。
では、表現術のお話に移りましょう。

① 文字、単語を説明しない。その想いこそが大切。
読むのではなく感じること。
② 名詞、形容詞の説明をしない。
名詞、形容詞はイメージだ。“だからなんなんだ”を伝えたい。
例えばこういうこと。
『私は涙がこぼれた』というフレーズがあったとしよう。
これだけでは表現しようが無いのだ。
その前後のシチュエーションが設定されなければ、
ひとことだって語れないことに気づく。
つまり、涙にはいくつものイメージが存在する。
悲しいからなのか、嬉しいからなのか、寂しさからなのか、感動からなのか、不安からなのか・・・
あっという間にこれだけのシチュエーションが出てくる。とすれば、『私は・・・』のしゃべりだしの“わ”の音色は全部違ってくるのだ。その理由は次の③に託す。
③ ワンセンテンス、ワンイメージが基本。ワンセンテンスにいくつものイメージはいらない。ワンセンテンスとは、句点から句点のフレーズをさす。人はセンテンスの結論を決めてから話し出すもの。
そのセンテンスのしゃべりだしで、思いが伝わるイメージこそが大切。その色を感じて、聞く人は安心して聴くという行為に没頭してゆくのであって、毎回同じ色の音を聞きながら、何が言いたいのだろうと必死に探ってゆく中で疲れてしまうのだ。
これが生理設定。さらに、句点と句点の間を意味なくあわてるなということ。
生理設定があってしゃべりだすのだから、表情の変わる“ 間 ”があって当然。ライブの朗読などでは、観客は演者の表情、一挙手一投足を凝視しているのだ。
生理が変われば、表情も変わり、音色も変わる。
音の高さ、大きさという捉え方ではなく、音色である。
表情が、まなざしが変わるだけで子供たちは乗り出す。
センテンスごとの音色が変わることで、聴き手の興味をそそり、飽きさせずに惹きつけることが出来る。
そこにこそエンタテインメントが存在する。
④ 言葉に隠された、あるいは託された想いを表現する。
言葉そのものの意味ではなく、その言葉を使って本当は何が言いたいのかを探る。
こんな短編の一節があった。あくまでも、ひとつの例として・・・・これは実際、読みのオーディションで、出所一切説明なく、細かい設定などはすべて読み手に任された、ほんの一節だった。
この3行だけではなく、やや前後の展開はあった。
ここでは割愛。

『またどこかであおうね』と、わたしは言った。
『またどこかで・・・』と、ひとりが言った。
『またどこかでね』と、もうひとりが言った。

さあ、文章読解の世界に入って行きますよ。
『またどこかであおうね』は、とうてい、そのまま受け取れはしない。これはうそだ。
心の台詞は、『もうあうことはないでしょうね』
こうにちがいない。真逆の表現である。
こんどと、どこかと、お化けは出たことないのだ。

語尾の“で”と“ね”でおとことおんなを書き分けている。
じゃー、おとこの『またどこかで・・・』はなんなんだ。
『そっ、そうだな・・・』という、とまどいとごまかしの台詞か。わたしが思いもしない言葉を発したので、二人がその音をなぞったのだ。
では、もうひとりの『またどこかでね』は、どんな意味を含んでいるのだろうか。
『ゴメン、ネ・・・』という懺悔と謝罪の気持ち。

次には、“ひとり”と、“もうひとり”などという表現を何故しているのかという疑問がわく。
ふつうこんな表現は、しはしない。
あきらかに、“ひとり”は自分の“彼”であり、
“もうひとり”は親友の“OO子”なのだ。
親友の“OO子”に、自分の彼をとられてしまった私。
彼らは律儀にも、私に報告に来た。
取り乱したくはない私。
でも私はぎりぎりのところにいた。
そこで、“彼” とか “OO子”と口に出してしまったら、そこで崩れてしまう自分が見えていた・・・・・。

と、台詞のあとに書いた解説は、私の想像による創作なのだが、自分はそれしかないと疑わない。
だから、『またどこかであおうね』は、『もうあうことはないでしょうね』と心で叫び、
『またどこかで・・・』 はずるい男の戸惑いからのごまかし。
『またどこかでね』は、『ゴメン、ネ・・・』と心の中で口ずさむ。親友としてのせめてもの気遣いか。
このリフレインは全て想いが違うのだ。
その裏の声が語りで聞こえてきたら、
ゾクゾクするほど奥の深い表現になるはず。
さらに“ひとり”と、言うときに、心の中で“彼”といいながら読み“もうひとり”を“OO子”と心の中で口ごもる。
すると聴いている人には、
『えっ、だれのこと?あっ、そうか・・・』
という説得性を与えることになる。
ちょっと唐突だが、二元表現といわれるもののひとつの例として・・・・・

表面の文字、言葉を疑って、その隠された言葉を想いに乗せることで、先に言った、二元表現が生まれます。
その作業こそが、文章読解力なのです。

文章読解力とは文字、文法解析力にとどまることなく、
万物の霊長、人間の特権であるところの想像力をフルに駆使
して、そのバックグラウンドすべてを理解しようとする行為
に他なない。



2018年02月09日改訂

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[9] 只今、正調・外郎売り完全習得短期集中講習、受講生募集中です。

投稿者: natch2 投稿日:2017年10月21日(土)03時08分43秒 p3b93bc5c.tokynt01.ap.so-net.ne.jp  通報   返信・引用   編集済

正調版・ 『外郎売り』 習得のための、
     短期集中講習受講者募集中。

本体のナレーション教室とは別に、正調版 『外郎売り』 を完全習得するための、短期集中講習です。従って、入所金もなければ、月謝制でもない、 プリペイドカードによる二つのコースを用意しました。
5 回コースと 10 回コース、予算とスケジュールに合わせて
お選びいただけます。ワンレッスンを2時間半とします。
日曜を除く、毎日、13時、16時、19時スタートとします。
料金システムについてはホームページ、プリペイドカードコースの項を参照ください。
ただの早口言葉の練習帳としてではなく、中国から伝わる、音韻学の教科書として、また喋りのバイブルとして、二代目団十郎が江戸前期に上梓した、正確な台本、並びに時代考証をもとに、今まで体験したことのない、新たな切り口で講習を進めてゆきます。
従って、喋りの基本、日本語文法の基礎知識は言うまでもなく、
ご希望があれば、毎レッスン開始時に、第3の呼吸法による、和のテイストともいうべき体幹による発声法のトレーニングを実施します。最終日には、完全暗唱の形で収録をし、完成版の音声ファイルとしてお渡しします。完全暗唱ができれば、一生の財産になること請け合いです。
電話でもメールででも構いません、お問い合わせください。
一見は百聞に如かず、まずはどうぞお訪ねください。
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[8] 数詞における考察。

投稿者: natch2 投稿日:2017年 5月22日(月)05時22分32秒 p83d53311.tokynt01.ap.so-net.ne.jp  通報   返信・引用   編集済

ウェブサイトにこんなことを書いてらっしゃった年配の方たちがいた。
飲む場所に行って日本酒を頼んだら、ウェイトレスの女の子が、
『しごう瓶でよろしいでしょうか?』といいやがった、
尿瓶(しびん)じゃあるまいし、こいつ日本人じゃないなと思ったら、
やはり日本語を学びに来ている、中国人だった。

これまさにヘイトスピーチではないでしょうかね。
日本語に携わってきたものからすれば、憤りを超えて、悲しくもなりました。
その中には戦前生まれの教育者もいたのですよ。情けないとしか言いようがありません。
彼女の通っている日本語学科では、
きっと漢字音の教育も正確になされているのだろうと推測できました。

宮沢賢治の『雨にも負けず』の一節、『1日二玄米四合ト、味噌ト少シノ野菜ヲ食ベ』
これも、しごうと読まなければ、宮沢文学も色あせてしまいます。

戦後敗戦によって、GHQの内部組織CIEによって、伝統的な文化さえ、蹂躙されてゆくのです。
戦前は、数詞においては、呉音の配列が正確に守られていました。

しかし戦後、訓と音、和語と呉音、呉音と漢音の入り混じる混乱が、生じてゆくのです。

銀座のアンパンの老舗、木村屋さんの倉庫から出てきた、戦前の標識には、
銀座4丁目の下には、ローマ字で、Ginza Shicyoume と書かれていたのです。

さらには、昭和20年8月15日、昭和天皇による玉音放送の中でも、
数詞の四はすべて "し ” と音読されています。

米、英、支、蘇、四国(しこく)に対し・・・、交戦すでに四歳(しさい)をけみし・・・。

したがってわたくしたちが戦前日本文学を朗読するときなど、
数詞をきちんと呉音の配列で表現しながら、時代考証を成立させていかなければ、
色あせた文学を伝えることになってしまいます。

懐古趣味ではありません。
日本語という優れた財産を扱うものにとっての責任なのだと思っています。
時代とともに流れてよいものと守らなければならないものとの
区別をしなければならないのです。
文化を守るということはそういうことなのではないでしょうか。


日本酒、焼酎の瓶は、しごう瓶であり、
ワイン、ウイスキーの瓶は、720ml瓶と呼ばれるゆえんなのであります。

ご清聴ありがとうございました。

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[7] 正調『外郎売り』を伝えてゆきたい。

投稿者: natch2 投稿日:2017年 5月 5日(金)15時05分59秒 pdf862667.tokynt01.ap.so-net.ne.jp  通報   返信・引用   編集済

正調『外郎売り』の口伝に取り組んでゆきたい。

この演目は、ただの早口言葉の練習帳ではない。
1300年余の時を経て中国より伝えられ来た漢字を基本とする日本語への伝承の歴史。
日本の国語教育において、置き去りにされなおざりにされてきた漢字音などの問題。
けんりつ、ではなく、こんりゅうと読むんだよ、とだけ教えられてきた現実。
なぜ、建立をこんりゅうと読むのかの理由を教えてこなかったことの付けが回ってきている。
なのに、ただ丸暗記のもとに漢字を読み分けている現代人。
漢字の読みわけにはすべて理由があって歴史があって、そこには多くの法則が存在する。
法則イコール定義であり方程式でもある。
答えを求めるセオリーに、マトリックス論理がある。
マトリックスとは何かを簡単に言えば、X軸とY軸の交点に答えがあるという理論である。
丸暗記では、時がたてば忘れるか逆転して入れ替わるかの危うさが常に付きまとうが、
そこに法則がきちんと存在すればその法則のもとに辞書を引き直さずとも、
答えを導き出すことができるのだ。
丸暗記は知識ではない、知識とは、法則のもとに常に答えを導き出せる方程式に他ならない。
そんな中国音韻学の教科書として団十郎が成立させたのが、『外郎売り』なのである。
これまでただ早口言葉の教材とだけとらえてきた方々にとってはまさに目からうろこの衝撃。
“はまの二つは唇の軽重”などと平気で読んできた方々は意味も分からずに読んできただけ。
唇の軽重とは、上下の唇を結ぶ力の大小を言っているのであって、
だとすれば、はひふへほの、は行は軽い結び方をするよ、という示唆を含んでいるのだが、
実際には、は行は、唇などくっつきはしないではないかの疑問が生じる。
そう、きっと、は行ではないのではないか?
正確に言えば、は行ではなく、ふぁ業なのだ。F音であれば軽く唇は結ばれて上下の唇は重なる。
唇が結ばれて、一番小さな圧力で発せられる音が、ふぁ、ふぃ、ふ、ふぇ、ふぉ、なのであるよ、
という教えを説いているのだ。
1718年といえば江戸前期、このころ、は行は限りなくふぁ行に近かったようであり、
更に遡れば、ぱ、ぴ、プ、ぺ、ぽ、のぱ行だったりする。
歌舞伎的なる発音が今現在でも存在する。
たとえば、『おはまさん』というセリフが、なんとなく『おふぁまさん』にも聞こえる所以でもある。
外郎売の口上の中で気を抜ける部分など皆目ない。
中国音韻学の法則にあふれた作品であることに気が付かなければ、外郎売に問り組む甲斐がない。
そんな切り口から、外郎売りに取り組んでいるのが、当研究室なのである。
興味がおありの方は、studio1093.com を覗いてみてくださいませ。



[6] エンジン点検・整備用照明をつけてみた。

投稿者: natch2 投稿日:2016年 8月31日(水)00時43分15秒 p79679998.tokynt01.ap.so-net.ne.jp  通報   返信・引用   編集済

    GパンのポケットにいつもLEDの小さな懐中電灯を忍ばせている。
小さいといえども、タイトなGパンのポケットにはいささか邪魔ものである。
パーキングに帰ってきたときなどの、FTの健康具合を点検するための、愛情ツールだ。
オイル漏れ、オイル量点検、エンジン温度確認、等とう、
せめてそのくらいは毎回点検してあげるのが、古き相棒への思いやりだ。
そんな点検を、毎回何も使わず快適にできたら・・・・。
そこで浮かんだのが、LEDによるエンジン照明の装着である。
スパークプラグの脱着・点検などにはもってこいかもしれない。
出先の暗い場所でも作業が楽しく楽になること請け合いだ。、
地下駐車場には、本点検をするための投光器は用意しているが、いちいち面倒である。
メールで宣伝してきた1000円台で買えるLEDテープに目が留まった。
側光タイプの60cmのもので、自由に切って使うことができると書いてある。
両側に50cmほどの電源コードがついており、真ん中で切断すると、
30cmのLEDテープが2本出来上がる。
こいつを、ガソリンタンクの下側の左右のリップの裏側に両面テープでつけてやれば、
エンジン部分を均等に照明できるはず。
スイッチ一つで、整備・点検用の照明がいつでもどこでも可能になるのだ。
イグニッションスイッチ連動電源から回路を引き出し、平型ギボシでセッティング。
見事エンジン簡易照明が出来上がった。
トグルスイッチを介しているので、もちろんオン・オフは自在である。
点灯してみると、明るすぎも暗すぎもせず、そして白色なので下品にもならず、
いい形で、夜間、FT400が心地よい主張をしているように見える。
冒険だが、点灯したまま走行しても、かのイルミスクーター軍団と同一視はされないように思えた。
ということで、あくまでも夜間点検用照明の出来上がりである。


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