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切り破る切り裂く

 投稿者:ムシ  投稿日:2018年11月25日(日)12時55分17秒
  ここまで私の持ち物であってこの先は手から離れて行く嘗ての持ち物たちよ。私は不甲斐無い生き物であり人生何も成しえていない。読むという行為すらそこに見出そうと思っていたことの意味がなんだか分からない。かつて立派な装丁の本だが今は高原に雨ざらしに近い状態で100円で売られているものを買い求めて。それをまた家で並べる限りにしたりするアホウ。とにかく時間はもうないのだ。魂が消える。タマゲル。オッ魂消るよな。だから本は時によっては切り破るものである。コピーなど銭がかかる方法でなく。100円まで値を下げたという事を有り難いこととして。ただ詫びながら切り裂くことも必要なのだ。最期は。私の消滅後は一切がそのまま廃棄されることを思えば。嘗て牧野牧夫氏の君臨した書斎が主を失っても其処にあるようには。私はそうはいかない。死後も命があるようになどとは願わない。(あるじ=主。基督者牧野氏が実は書斎の主であり世界を生み運営する造物主であったという事か。げらげらげらげら・・・)  
 

蔵書

 投稿者:ムシ  投稿日:2018年11月25日(日)12時41分19秒
  本というもの。蔵書の蔵という字が気に食わぬ。かつて私は無為な40代を過ごした。まさに字面通り過ごしてしまった。見す見す目の前に通過するものをボンヤリと安楽椅子でパイプなどを咥えながら観ていた。40代。たった3000日だ。今思えば一瞬だった。ずっとこの先もゆるい時間が続くものと思っていた。というよりその時はその時で暗澹たるものだった事は多くのメモから蘇る。だが他の方法があったのかとかいうのはナンセンスだし総括したくもない。しかし読んだ本と。どの時点からか知らないが付箋を付けまくって分厚い読後の状態となった本は庭の倉庫に積んである。これが唯一の証拠と言えるかも知れない。これは蔵書という立派なものではなくただ残骸。生まれ死ぬ細胞と腸内細菌の死骸が糞便であるように。それを私はそう信じていたわけでもあるまいがやがて再会し新しい何かを作る材料としての時間の堆積物とどこかで思っていた。それが40代のある種の成分だったことは確かだ。だから蔵書というスタティックな呼び名は嫌いだ。駄目だった時間。そういう風に思うなら頑張ったけどダメだった時間。頑張ることすら能力が及ばなかった時間。思いもよらなかった自分自身。思ってはいたけれど結果として(この現時点として)全く想像もつかない方角に立ち往生している自分自身。等々。色んなことは言える。しかし勝ち誇ったように私の蔵書はという馬鹿は始末に悪い。本はそれ自体は紙とインクだ。神とウィンクではないのだ。  

ディクスンカー。。

 投稿者:ムシ  投稿日:2018年11月25日(日)12時01分28秒
  ディクスンカー、アイリッシュの放出を。今更だけど。本は継いで読んで呉れる人が居なければ宝の持ち腐れ。宝ですらなければ余人にはただのゴミ。よくまあこんなモノため込んでいてくれたねっていうシロモノ。だから古本屋っていう仕事はかつて存在した。今の私は細々とネット販売をしているが何より身近に溜め込んで重くしていることと僅かな金のために手間をかけて管理することが馬鹿らしく。いつしか適当に人にやってしまう癖がついた。その中でも特に大口の引き取り手がいる。従弟の一人。というよりその妻。なんでも喜んで引き取ってくれる。特にミステリーは大好物である。古くてもかまわないと。女性には珍しいタイプだと思う。今日など天気もいいし。車に積んでドライブがてら届けようかなどと。思ってみたりもするがそうすると此方の家人のトーンが気になる。なんでそこまでやるの。買うのだって相当お金使ったんでしょ。なんでそんな人にお届けしなきゃならないわけ。その上自分の老いも嵩んできて物事の優先順位が分からなくなっていることもある。動くのも億劫だったり。でも車に捨つべき嘗ての愛蔵書を積み込んで彷徨う老境もどこか心の奥では悪くない。これが天涯孤独というような身の上だったらなどと想像する。生活の基準護持の中でならばそれは興のあることだ。しかし現実に家人の気の中でしか生きていない人間だからやれることが限られ。このバアイは相当な手続きしないと嵌らない。ディクスンカーへの根底の愛着。手放さなくたっていいじゃないかという心もある。クイーンやクリスティを早々に手放したようなわけにはいかなかった。だが本来「人生のプライオリティ」など多くの我儘老人にとって顧慮するテーマではない。そんなこと自分で悶苦する必要はない世界なのだ。死んだら一週間で資源ごみに捨てられる。残った小柄なオバアサンがせいせいと捨てる。つまり亭主の死と附随のゴミ捨てはパッケージである。私はそこが嫌になった。だから自分の意思すらも生きながら埋葬したくなった。だから例えば若い力が生じてくれたらなどと願った。それこそ従弟夫婦の子らの高校生たちがもう少しアクティヴだったりしてくれたらなどと。無駄に願った。罪悪感の軽減とでもいうのか。そんなにうまくは運ばない。奇跡はアリエナイ。分かってる。じゃどうするか。兎にも角にも手提げ袋に詰めたので今日ではなくまたいつか。来週とか再来週とかに会話をした上で動くのが良いのだろう。  

大田垣蓮月

 投稿者:ムシ  投稿日:2018年 7月29日(日)23時47分16秒
  芸苑一夕話 市島春城、大11、全2冊初
春海馬琴蓮月崋山杏所大雅豊国北斎源内細香春涛毅堂八雲他・附文人の旅他
もう15年46才ならば買うべき本だったかも知らぬ
今抱えているところでそのこぼれ方はさらに厳しく
とても切なく焦りが募ることになる
もっと余裕をもって
どうせ寂しいなら
頑張れるように
 

sffsfs

 投稿者:ムシ  投稿日:2017年11月30日(木)22時15分32秒
  静まれ静まれ治まれ治まれ・・・  

雑念無念

 投稿者:ムシ  投稿日:2017年11月30日(木)22時09分59秒
  考えて重くなるような種類の事は考えぬのが宜しい 考えて明るくなれる事を考えようとするがそんなものが見当たらない 自分が重くなっちゃってるんだから仕方ないんだよ  

無題

 投稿者:ムシ  投稿日:2017年11月30日(木)22時00分39秒
  職場階下のK嬢戊辰戦争研究を趣味とするひとに2日程前にわが郷土史の何冊かの本を差し上げたもう会津の事はいいのかなと何処かで思ったこうした本はお持ちだろうかと言えば持っていません嬉しいですと大層喜んで呉れてそういうことならもっと差し上げたいなと思った身を軽くしたい発作で終了するのが命のルールならなるべく軽量となり天使の羽根のようなもので飛びたいと思うのだモノなど持たぬのでいいのだ集うなどせぬのでいい明るくなどなれないなる必要もない  

Tiptree

 投稿者:ムシ  投稿日:2017年11月21日(火)16時42分34秒
  ああティプトリーは強いんだろうな最恐なのだろう今コッチの低漲なコンディションにおいてとても手にさえ取れない高熱想定を遥かに超える強烈さなのだろう痴呆症になった夫を撃ち殺し同じ銃で自殺したティプトリー夫婦どちらかが駄目になったらそうしようという取り決めに従ったというクールな熱情  

ラッセル狂の顕示録

 投稿者:ムシ  投稿日:2017年11月21日(火)16時32分9秒
  昨夜国営放送で最低の番組バートランドラッセル幸福論を嬉々と紹介アホかこいつらインテレクチュアルズを引っ張り出して来て馬鹿馬鹿しさを再確認したが本当にアホは居るしアホをアホと思わぬから世界は何処までもアホということになるんだこう云う事を突き詰めるとああ死にたくないなっていう気持ちが突沸して来る98まで生きたコノヤロウほどはこっちはちっとも生きられないのが悔しいではないか  

強き本

 投稿者:ムシ  投稿日:2017年11月16日(木)19時03分17秒
  「強き本」とは内容ではなくありかたのことだここにいる小さな我と関わらぬ本「世界構築の本」あるいは「構築された世界の本」昔はそんな本ばかり読んでいた平気で疑問もなかった私は強かったのだそんな遠くないムカシだせいぜい数年前だ今は弱く小さな蟲だ畏怖とともにそうした強きものを遠ざけたく思うのだ意識しなくてはやられてしまうまだ強さがあると思うバカな瞬間があるから  

ざらつき・・・

 投稿者:ムシ  投稿日:2017年11月16日(木)18時44分33秒
  そうだ色んなことが肌に感じられてきたのは生命力がバイタルが沈潜してきたからなのだろう本に関しては強弱という事だ強い本はもう見たくないのだ弱い本は優しくしてくれるから好きだ大切だ自分の周りを囲むものそして中くらいの本が細胞膜のように外界と内側を行き来する酸素やエネルギーのための構造とならなくてはならないこれらはムカシどうだったとかとは一切関係がない私のまさに今の状況の再構築と日々の更新でなくてはならないのだ  

死と狂気渡辺哲夫ちくま学芸文庫

 投稿者:ムシ  投稿日:2017年11月16日(木)18時38分23秒
  天才関連の一連はなぜか捨てずにマタゾロ小屋に仕舞おうかとしている理由はたぶん寂寥という事だろう出来もせぬ分かりもせぬ詩心に取り巻かれたいなんて云うのも同じ情けない話だ誰に相談もできないのが人生不安というやつだ新しい書棚の一列が空いたから其処に「イマの眼前」というものを並べようそして仕切りを置いて「その次」というものを並べよう次なんて考えてもしょうがない夢が一瞬で消えるように今の思考はヨワクテヨワクテ風前の灯火のようだからまして「もう読まぬだろう読めぬだろうの強き本ども」は遠ざけた方が良いのかも知れないが勇気がおきないというのか捨てちまったらやっぱりこっちが何もなくなってしまうという不安なのか…やっぱり小屋に積むのが仕方のない処なのかよく蔵書を天井まで並べて積み上げる連中をリスペクト出来た浅はかな自分が居たものだなんで自分がそうではないことに気づくのが遅れたのだろうと今更思うとにかく強き本は自分に合わない強き感覚強き情報全部そうだしかしこの死と狂気は自分にピッタリ合う本だから寄り添っていたいものだ  

基督教の関連は・・・

 投稿者:ムシ  投稿日:2017年11月16日(木)18時15分28秒
  M君の父上の形見のカトリックの書籍は大切なものだが私のイマの心は福音書の根に綿綿とある人間の弱さ切なさの匂いに吸い寄せられている特にペテロとヨハネの弱さについて第2バチカン公会議はそこに嘘を吐かないためにはと言う重大な局面だったのか少なくも私は自分の弱さに辟易しても自己愛に易々と拾い上げられ続ける弱者だ卑怯者だ本質には到底向かえないのに面前にある巨大な闇の恐怖の事は考えないようにしてしまっているそれはあり得ないのだという風に思い込んでいる津波の事を思わないようにしている浜辺の住人のように目先を逸らそうとしているこの浜辺から山に越してもがけ崩れがあるではないかという風に町に出たら車がぶつかってくる黙ってそこに座っていても脳卒中や心臓発作が起こるかもしれないだろうという風にだから浜辺に住み続けるのだという風に自分をごまかし続ける昔核シェルターに逃げ窓から融解した世界を見つめる夢を見たことがあったその時の恐怖感を福島原発からいわきに吹く爆風と書いた気がするそれはとっくに現実のものとなった取り返しのつかないことだらけだ私の単体の人生にも山と思るが地球全体がもうとっくにそうなっている放射性廃棄物の中で生きる方法を生体は獲得しつつあるのか強くなければやさしくなければならない中性子の錯乱して飛び交う世界の茹で卵はハードボイルドなんてものじゃないコチコチになって  

断想001

 投稿者:ムシ  投稿日:2017年11月16日(木)17時52分40秒
  ここは文学にのみ開かれるべきだつまり心の寂しさの問題のみに関してさもなくば余裕ある歴史や言語の研究若気の漲った大量の時間を空転させてしまった身に何が残っている何の余剰があろうか文学の小説の柔らかい囲みと褥外が如何な怒涛の豪雨が猛り狂って有ろうがこの洞窟の中は安寧なのだという  

目先に飛ぶ小虫

 投稿者:ムシ  投稿日:2017年11月16日(木)17時32分9秒
  赤蛙島木健作新潮文庫野の少女弱さ痛さと言うとまた決めに走ると言われる答えを言うなど一朝一夕の事ではないのだしかしこの夕景はすぐに暮れてしまう 天の夕顔中川與一銀の匙沼のほとり中勘助素足の娘くれない佐多稲子人生論ノート三木淸青銅の基督長与善郎…がさっと脇に押しやる
 

書影003

 投稿者:ムシ  投稿日:2017年10月28日(土)09時46分10秒
  読み返したいコバルトブックス しかしながら その情念の種類とともにほとんどは失われ 惜しくもあるが それはいわば 私自身がそのように廃棄される時宜にあるという事でもある   

書影002

 投稿者:ムシ  投稿日:2017年10月 4日(水)10時08分48秒
  S図返却リミット→M図に殆どあったが無いのが「かながわの滝」これはいつかもう一度  

書影001

 投稿者:ムシ  投稿日:2017年 7月28日(金)17時40分27秒
  中世ドイツを勉強する   

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