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ウェブサイトにこんなことを書いてらっしゃった年配の方たちがいた。
飲む場所に行って日本酒を頼んだら、ウェイトレスの女の子が、
『しごう瓶でよろしいでしょうか?』といいやがった、
尿瓶(しびん)じゃあるまいし、こいつ日本人じゃないなと思ったら、
やはり日本語を学びに来ている、中国人だった。
これまさにヘイトスピーチではないでしょうかね。
日本語に携わってきたものからすれば、憤りを超えて、悲しくもなりました。
その中には戦前生まれの教育者もいたのですよ。情けないとしか言いようがありません。
彼女の通っている日本語学科では、
きっと漢字音の教育も正確になされているのだろうと推測できました。
宮沢賢治の『雨にも負けず』の一節、『1日二玄米四合ト、味噌ト少シノ野菜ヲ食ベ』
これも、しごうと読まなければ、宮沢文学も色あせてしまいます。
戦後敗戦によって、GHQの内部組織CIEによって、伝統的な文化さえ、蹂躙されてゆくのです。
戦前は、数詞においては、呉音の配列が正確に守られていました。
しかし戦後、訓と音、和語と呉音、呉音と漢音の入り混じる混乱が、生じてゆくのです。
銀座のアンパンの老舗、木村屋さんの倉庫から出てきた、戦前の標識には、
銀座4丁目の下には、ローマ字で、Ginza Shicyoume と書かれていたのです。
さらには、昭和20年8月15日、昭和天皇による玉音放送の中でも、
数詞の四はすべて "し ” と音読されています。
米、英、支、蘇、四国(しこく)に対し・・・、交戦すでに四歳(しさい)をけみし・・・。
したがってわたくしたちが戦前日本文学を朗読するときなど、
数詞をきちんと呉音の配列で表現しながら、時代考証を成立させていかなければ、
色あせた文学を伝えることになってしまいます。
懐古趣味ではありません。
日本語という優れた財産を扱うものにとっての責任なのだと思っています。
時代とともに流れてよいものと守らなければならないものとの
区別をしなければならないのです。
文化を守るということはそういうことなのではないでしょうか。
日本酒、焼酎の瓶は、しごう瓶であり、
ワイン、ウイスキーの瓶は、720ml瓶と呼ばれるゆえんなのであります。
ご清聴ありがとうございました。